情熱的、絵画的ですが・・
当時の若者が印度に自らをさらけだして、日本人の自分として感じたことが、ある意味忠実に書かれてます。写真、文章も含めて色彩感のある表現は今読んでも流石といえます。
その反面「話の軸が見えない日本へのアンチテーゼ」や「単に世に出たい若者の鼻息」っぽいものが見えすぎて(これは割り引いて読むべきなのでしょうが・・)かなり「臭み」があるのも否めません。
個人的には若い人にこの本を読んで一番感じてもらいたいのは、自らにとって「信仰とな何か」という点ですね。藤原さんも、これを書いた当時は、そういった立ち位置、アイデンティティを自覚せずにヒンドウーはスゴイばっかり書いていますが、多分このあとその問題にぶつかったはずです。
私個人は無宗教ですが、世界でも稀有な「宗教オンチ」の日本人の一人として、改めて自分の信仰を考えるキッカケにしたいですし、若い人も
宗教自体を「色メガネ」で見ずに、自分を考え直すキッカケになればいいと思います。
才能に出会った。静かで、真摯な、人生に対する一つの視点
完全に敗北した。徹底的にうちのめされた。こんな感情を味わうのは久しぶりである。この本は、30年以上前、僕と同じ年齢であった23歳の若者が書いた。それが、信じられなかった。徹底的にうちのめされたので、むしろ気持ちよくなった。完全にうちのめされて、藁半紙のような紙に印刷された原色の印度の人々や川の写真が敗北した心に染み入った。才能。もの書きとしては第一級の人物である。椎名誠が子供の遊びに感じられる。。。冒頭、15年ぶりにこの旅をふりかえった著者が「なぜインドに行ったのか」と質問する若者の影に、過去の自分を投影する。「青年は何かに負けているようだった。たぶん青年は太陽に負けていた。そして、青年は大地に負けていた。青年は人に負け、熱に負けていた。青年は牛に負け、羊に負け、犬や虫に負けていた。青年は汚物に負け、花に負けていた。青年はパンに負け、水に負けていた。青年は乞食に負け、女に負け、神に負けていた。青年は臭いに負け、音に負け、そして時間に負けていた。青年は、自分を包みこむありとあらゆるものに負けていた。疲れたその青年の目は表情を失っているかに見えたが、太陽にいられて眩く白熱する、目の前の地面を、ただぼんやりと見つめ返すだけの意思をわずかに残していた。」著者は、自分は、何かに負けに行ったのではないかと結論する。。。 「火葬」の章の箇条書きがすばらしい。その一つ一つの文章が、まるで、一人の男の人生を支えてきた肉体が火に焼かれ蒸発する際に発する、一瞬の光のようだ。また、「死神」の章の幻惑的な文章がいい。コカ・コーラ伝説の幻想。完璧な文章の背後に、著者はこのような危うさまで抱えている。。。文章に惚れた。
青春の「熱」を感じる本
P.27〜88の語録がおもしろい。例えば、インドの人たちのことを“悪人、俗人入り乱れて人間博覧会みたい…”と表現している部分。 写真に奥行きが感じられます。ただ、途中ガンジス河畔での死体も出てくるので、グロいのが苦手な人は直視できないかもしれません。 藁半紙みたいな紙を使っていて、文体と写真の朴訥さが出ているような感じがしました。 旅行記としては、話がもう30年以上前のことで色あせが激しく内容もイマイチですが、青春論として読むなら、若い人にとって色々共有できる部分があると思います。著者の青春時代の「熱」を感じました。
写真が良い。あの美しい少女は今頃・・・
写真が豊富で私にとっては写真集。 フチもなくページ全面(時には見開き全面)で迫ってくる写真。美しくて死が身近なインド。少女の瞳が鋭く深くみずみずしい。男たちの目も鋭いけれどどこか乾いて。 若かった私に、どの写真も深く印象に残った。本を閉じても、何年か経っても、忘れられない視線とぶつかるはずです。読み返すことは滅多にないのに、手放したくない一冊になりました。
生と死が感じられる場所。それは印度。
もうすでに、日本社会には生と死は混在しない。あくまで生と死は切り離されて考えられている。あるのは、あくまでも公平で単純な日本総国民は全員死刑判決をくだされているということだけだ。いつ執行されるかは分からない。でもいつかその刑は執行されるのである。そんな単純なことを分からせてくれる1冊である。僕の愛読書。印度に行きたくなる本である。
朝日新聞
東京漂流 西蔵放浪 (朝日文芸文庫) 全東洋街道 下 (2) (集英社文庫 153B) 全東洋街道 上 (1) (集英社文庫 153-A) アメリカ (集英社文庫)
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